広告の事を考える。そして、ポカリを飲む。
高校の通学時、電車の窓に貼ってあった広告。
青ベタに白抜き文字のロゴ。
「ネーチャーの国」。
かれこれファンになって20年以上。
どうやらデザインの仕事をするずっと以前から、僕はポカリの広告が好きだったらしい。
真夏に屋根を白く塗った後に、麦わら帽子を被って2人ポカリを飲む。
サーフィンの後にポカリを飲む。
道路に転がった缶を追いかけて、またポカリを飲む。
これが青春なのか〜と思った学生時代。
勿論、そんな絵に描いたような青春は僕にはなかった。サーフィンの後にポカリは飲んだけど、割と先輩が多く、友達とサーフィンという経験は殆どなかった。当時、父親と海に行っていたので青春って感じではない訳なのです。
そしてあっという間に学生時代が終わる。
時が経つ。
今度は、いきなり高校生が走り出したかと思えば、ポカリを飲んで空高く飛んでいく。
物凄い勢いでダンスをする学生達。
ソーシャルディスタンスでも青春を謳歌する学生の姿。
凄まじい広告の発想と勢い、迫力、メッセージ。流石ポカリ、カッコいい・・・と思う反面、明らかに自分が学生の時に見ていた感覚とは違う視点から広告を見ていることに気がつく。大人になったんだよなきっと・・・と自分を納得させる。
そして、今回の高校生が勢いよく廊下を走り抜けていくCM。上下に湾曲する廊下は、困難な道を乗り越え、新たな道へと向かうショートストーリー。舞台セットもさることながら、この時代へのメッセージ性も本当に凄い。
公開当日の僕のTwitterのタイムラインは、朝からポカリのCMで盛り上がっていて、電車の中で1人何回も見てしまった。
いや〜ポカリやっぱ凄いな〜、青春っていいな〜、こういう広告っていいよな〜って思っていた。でも、僕の心に刺さるというのはどういうことなんだろう・・・と、ふと疑問に思った。いまの学生達は、もっと想像以上に複雑な環境の中で過ごしているのではないか・・・。コロナ禍の中、青春を謳歌出来ていない学生のほうが大半だろうし、学生時代から早20年以上が経過している僕には正直、想像がつかない。メッセージも心に余裕がないと、受け取るものも受け取れない。
どうやら自分も娘と息子がいる大人というものになったらしい。高校生の時のようにポカリの広告が見える電車の席に敢えて座ったりもしない。
そしてどうやら、娘、息子にはこの広告のメッセージが届いていなかったようだ。
自分がいる環境というのもあるけど、今のところ話があうのは、広告、デザイン業界のひとばかり。実家に帰ったときも、話が全く通じなかった。
そんなことを、考えているうちに深夜になりました。
僕のネーチャーの国はどこにあるのだろうとポカリを飲みながら日々思う、今日この頃です。
皆様お休みなさい。
良い夜を。